
「町工場からグローバル企業へ
央島製作所代表取締役央島昇(仮称)」

央島さんインタビュー
「僅か5人のゴム部品の施策を行う町工場
でした。親父が亡くなって、工場を引き継いだんです。
なんとなくこうやって一生終えるんだろうなって思ってました。」

そんな日々を変えたのはある出会い
からだった
19××年突然工場に飛び込んできた総合商社の営業マン、吉岡勉さん

「御社のゴムを加工する技術と弊社の営業
が組み合わされば、必ず売れる商品が
あります!一緒に開発しませんか」
電気自動車時代を見越した、商品だという。

軽量化と、耐高温化、難燃化、電磁波遮蔽制、クリアしなくてはならない問題が多い
「小さな町工場では難しい」と、断る中、連日の吉岡さんの熱心な説得により引き受けることに

央島さんインタビュー
「真に偉大な企業は、欲によってではなく、情熱によってつくられる」
雑誌で見た、この言葉を思い出して、この人となら何か大きな仕事が出来るかもしれないと思った

新商品開発に明け暮れた日々、開発は壁にぶつかってしまった。
新素材が必要だ、しかしそんな素材はどこに!?途方に暮れていると一人の社員が名乗り出た。

「私に2ヶ月時間を下さい。必ず見つけてきます」
それは新人社員の森永だった。

森永さんインタビュー
「学生時代に留学先で、次世代ゴムの研究をしていた人がいたのを思い出したんです。」

雲をもつかむような提案だったが央島さんは森永さんを海外へ行かせる決断をした。

森永さんインタビュー
「正直言うと、自信と不安は半々だったんですが、いつも社長が口癖のように言っていた 言葉に後押しされて行動しました」

央島社長の口癖だった言葉とは・・
「成功は、不可能を受け入れないことだ!」

央島さんインタビュー
「学生時代に愛読した本の一節で、座右の銘というかね、社員にも自分にも、いつも言ってましたね」
「でも森永が約束の2か月後に新素材を持ち帰った時は本当にびっくりしましたよ」

央島さんの賭けが当たり、新商品が完成。

電気自動車時代が到来、新商品の評判は海を越え、海外からもオファーが届くように、

央島さんインタビュー
「アメリカの巨大企業からロケットに使うゴム部品のコンペへの参加の依頼が来たんです。」

新商品緒開発依頼、「成功は不可能を受け入れないこと」がスローガンになっていた工場

央島さんインタビュー
「せっかくなら、大きな企業にだって負けないというところを見せてやろうと思った」

通常の業務をこなしながらの挑戦は生半可なものではなかった。

迎えた最終コンペの日選ばれたのは選ばれたのは大島の商品ではなく大手メーカーの商品だった。。

央島インタビュー
「そりゃあ悔しかったですよ、あんなに頑張ったのにって、」

「央島さん、ぜひあなたと一緒に海外に負けない仕事がしたい。」
大手メーカーの担当者、山口からの熱い電話だった。

央島インタビュー
「そこからはもう、ジャパンプライドってやつですか、日本の技術を海外に見せてやるんだって山口さんと一緒に走りましたよ」

今や従業員100人を抱える企業 へと成長した央島製作所

央島さんインタビュー
「出会いに救われた人生でした。コツコツが勝つこつですね(笑)」

今も入り口には
「成功は、不可能を受け入れないこと」の文字が飾られている